プロ野球の試合で、こんなシーンを見たことはありませんか?
勝負どころでランナーが盗塁を仕掛け、際どいタイミングながらもアウト。
試合後のインタビューで、監督がその選手を名指しで批判する。それだけではなく、「あれが大きな敗因ですね。」とまで言い切る。(※実際にあった例ですが、現監督ではありません。)
一見、もっともらしくも聞こえます。
「走れ」と命じたのは監督なのに、失敗した責任は選手にあるのか? 実はこれと同じことが、あなたの会社でも起きていないでしょうか。
今回は、組織を腐らせていく「行動責任」と「結果責任」の混同について解説します。
■盗塁のサインを出したのは誰か?
この事象を分解すると、責任の所在は明確に二つに分かれます。
監督の責任(結果責任): 「今走ればセーフになる確率が高い」と判断し、盗塁のサインを出したこと。その結果がアウトだったのであれば、その読みや判断ミスは、サインを出した監督が負うべきものです。
選手の責任(行動責任): サインに従い、スタートを切り、全力で走ること。ここまでが選手の領域です。
もし選手がサインを見落としたり、手を抜いて走ったり、あるいは凡ミスでのアウトだったのなら、それは選手の責任です。しかし、選手が行動責任を全うしている限りにおいて、アウトになった結果責任を選手に押し付けるのは、組織として機能不全になる可能性が出てきます。
■組織で起きている「責任の押し付け」
これをビジネスの現場に置き換えてみましょう。
上司:「このリストに100件電話してアポを取れ」 部下:「指示通り100件かけましたが、アポは取れませんでした」 上司:「なんで取れないんだ!お前のやり方が悪いんだ!」
これは、先ほどの野球の監督と全く同じ構図です。
「そのリストに100件かければアポが取れる」という判断の精度が低かったのであれば、それは指示を出した(サインを出した)上司の「結果責任」です。部下が100件かける(盗塁を試みる)という行動責任を果たしたのであれば、部下を責めることはできません。
■補足:「他責思考」の推奨ではありません
誤解のないように補足しますが、これは「部下は結果を気にしなくていい」という意味ではありません。部下が自ら結果にコミットする「自責思考」を持つことは重要です。
しかし、それは『個人のマインド』の話です。今回論じているのはあくまでも「組織の責任構造」の話であり、論点が異なります。
組織や役割としての責任の所在が曖昧なままで、個人に「自責であれ」と強要しても、それは精神論の押し付けにしかなりません。正しい責任構造があってこそ、健全なマインドが育つのです。
私が以前勤務していた会社(当時300名規模)の同僚が社長の前で、上司から結果が未達だったことに対しての責任を押し付けられました。
同僚いわく「もちろん結果は出さなきゃいけないという気持ちはある。だが上司としての責任を放棄して、それを部下に押し付けるのは許されるのか?」と。
これが責任を押し付けられた現場の生の声です。これで「自責であれ」というのは無理があります。
■ 「結果」を部下に負わせると、組織が機能不全に陥る
自らの判断ミス(結果責任)を棚に上げ、実行した部下の結果責任を追及し続けると、組織はどうなるか。心理学的には「学習性無力感」が蔓延します。
・挑戦の回避: 「指示通りにやって失敗しても、自分のせいにされる」という恐怖から、盗塁のサインが出てもスタートを躊躇し、最悪の場合タイミングを逸して走れなくなります。
さらに、その萎縮は打席にも伝染します。アウトになることを恐れてバットすら振らなくなり、見逃し三振を選ぶようになる。振らなければ出塁もできません。つまり、チャンスを広げるどころか、チャンスを作ることすらできなくなるのです。
・情報の隠蔽: 悪い報告を上げると理不尽に叱責されるため、都合の悪い数字が経営層に上がらなくなります。
「結果を出せ」と迫れば迫るほど、部下は委縮し、組織のパフォーマンスは低下する。これが組織が機能不全に陥るメカニズムです。
■指摘すべきは行動
部下を指導する際、指摘すべきは「行動」の部分です。「売上が届かない(結果)」と嘆くのではなく、「行動量が足りないのか?」「行動の質が悪いのか?」「そもそも自分の判断が違うのか?」を因数分解する必要があります。
■結論
強い組織を作るための前提条件のうちの1つはシンプルです。
「部下には行動責任の完遂を求め、上司はその先の結果責任を負うこと」
部下に指示を出すときは、「アウトになっても俺の責任だ。思い切って走れ」と言えるかどうか、自問してみてください。 そう言えるリーダーの下でこそ、選手は良いパフォーマンスを発揮出来るものです。